ツール・ド・おきなわ2015 市民レース50km サーティ DNF

2015年12月16日

ツール・ド・おきなわ2015に参加してきた。結果は機材トラブルで無念のDNF。しかし、短い距離だった割には楽しいレースだった。

ツール・ド・おきなわ。今シーズン最初にして最後のロードレースだ。ツール・ド・おきなわの参加は去年に続いて2回目。去年は50kmのアンダー29に参戦し、7位と入賞一歩手前に終わった悔しい思い出がある。

今年は50kmのサーティに出場した。ハルヒルに参加したメンバーが再集結し、兄貴、れざ氏、ゆるん、そして私でチームを組むことになった。ゆるんと私が今年30歳になったため、全員で同じ部門に出られるのだ。今回の目標は、エースである兄貴を優勝させること、そして、自分自身が平坦基調のロードレースでどれくらい戦えるのかを知ることだ。

50kmのコースは、本部(もとぶ)と天底(あめそこ)に標高50mほどの丘越えがあるだけの、完全なスプリンターズステージだ。我々のチームは3人のクライマー+ルーラーという構成なので、ゴール前スプリント勝負では分が悪い。詳しい作戦は企業秘密なので(レースは終わったので隠す必要はないのかもしれないが、来年もあるので)書かないが、最終的にはできるだけ独走に持ち込むというものだった。

前日まで

おきなわへの道のりは、実に険しいものだった。赤城山ヒルクライムの後、好調を維持したいがためにハードワークを続けた結果両足が悲鳴を上げた。休養して回復したものの調子は上がらず、おきなわ前に実施したロングライドの後にまた両足の痛みが再発してしまった。

実はこの痛み、肉離れだと思っていたらどうも違うようだ。いろいろ調べたら、低血糖症の1つに筋肉痛があることが判明。痛みの原因は、低糖質食による減量の副作用だったのだ。この可能性に気づいたのはおきなわが終わった後。「後の祭り」とは、まさにこのことだ……。

結局、沖縄当日まで丸一週間自転車に乗れなかった。テーパリングのために練習量を減らそうとは思っていたが、本番前に短時間高強度の刺激を入れたかっただけに、もどかしい日々を過ごした。

レース前日

8時15分伊丹発の飛行機に乗り、10時過ぎには沖縄に到着。ゆるん、れざ氏、兄貴と順調に合流し、レンタカーで名護の会場へワープ。

受付を済ませた後、れざ氏のチームメイトが待つパスタのお店へ昼食を食べに行く。結局4人で6皿のパスタを完食。チームメイトの方々に「よく食べるなぁ」とあきれられたw

昼食後、初参加のゆるんのために車でコースを下見をすることに。兄貴と私にとっても久しぶりのコースなので、落車ポイントを再度確認できて良かった。

れざ氏が「是非お勧め」というので、勝負所の天底でコースを離れて古宇利大橋へ向かう。屋我地島と古宇利島を結ぶ古宇利大橋はロングライドイベントである美ら島オキナワCentury Runの100kmのコースに組み込まれており、コース1の絶景ポイントである。きれいな海が目の前に広がっていた。自転車で走れば気持ちいいんだろうな。ちなみに結構なアップダウンがあるので、行かれる方は心構えが必要かもしれない。

那覇市内に戻り、タコライスを食べる。よく考えたら、タコライスは初めて食べたな。翌日のレース準備をして、23時には就寝。

レース当日

2時起床。朝ご飯はいつも通りフルーツグラノラハーフ。ついに500g一袋を全てたいらげるw まぁ糖質が足りてなかったから当然入るよなぁ……。ちなみに500gで1837.5kcalある模様。野菜ジュース、バナナ、リポD2本投入。間違いなく過去最高のカロリーを摂取した。

3時半にホテルを出発。れざ氏と合流して名護へワープ。

アップは、コースを逆走してイオン坂を反対側から登る国道58号線を走る。それにしても、一週間ぶりに乗る自転車は最高に楽しい! 気分が高鳴り、最初からアゲアゲで走ってしまったw アップとしてはあまりよろしくないので、次からは気をつけよう。

スタート前に、集合写真。

見事にばらばらなジャージである。即席チームだから仕方がない。チームジャージ作ろうかな……?

超級山岳トイレ峠を超えてから会場へ移動。スタート列に並ぼうと思ったら、サーティのグループはすでに国道に出てくるところまで来ていた。ゆるん以外の3人はシードナンバーなので割り込めるから問題無かったが、ゆるんはシード圏外なので素直に後ろへ並ぶことに。

7時27分、定刻通り号砲が鳴った。

レース本番

レーススタート。アクチュアルスタート直後に、いきなりフロントホイールから「バシュバシュバシュバシュ!」とすごい音が発生。最初はスポークが折れたと勘違いして「スポーク折れた!」と叫んでしまったが、5秒もたたないうちに音が鳴り止む。どうもスポーク折れではないようだ。何回も聞き耳を立てるが、結局異音はしていない。そのときは原因が分からなかった。

とりあえずレース続行。逃げが形成されたときに乗れるよう、常に前の方で展開する。

問題はコミッセールカーが近すぎること。逃げを打とうとしてもコミッセールカーが邪魔をして飛び出せないという珍事も発生。これには集団もいらつく。何度も集団から離れろと合図を出すが、全く理解されていない様子。見かねたフォトグラファーモトがコミッセールカーに話しかけていたが、あまり改善されなかった。

結局、近すぎるコミッセールカーと追い風ともあいまって、逃げは形成されず集団でレースは進行する。集団のスピードはなんと50km/h!

それにしても楽しい。去年は猛烈な向かい風で牽制ばかりだったが、今回は「ロードレースをしてる!」って感じがした。たまに先頭に出るときがあったので、とにかくペースを落とさないように踏む。変なブレーキもなく変な幅寄せもなかったので、高速な割と位置取りは楽だった。

本部大橋が近づいてきた。大橋の前の右コーナーは落車ポイントと読んでいたので、ここで先頭に出るべくアタックをかけた。その刹那、事件は起こった。

前輪タイヤから空気が抜けていく……。あぁ、なんてこった……。手を挙げてトラブルアピールするが、前方を走っていたニュートラルサービスモトは気づいてくれない。っていうか集団の後ろ走れよ、前にいたら意味ないだろ。モトが寄ってくる気配が全くしなかったのであきらめた。左よりも右に大きな空間が出来ていたので、右に避ける。集団が横を通過していく。案の定落車が発生していたが、自分は右のポールの外側に避けていたので全く関係なし。

レースは終わった。よろよろと本部のチェックポイントまで走り、リタイアした。

トラブルの真相

うん、わざわざ「パンク」と書かずに「空気が抜けた」と書いたのには理由があるんだ。なぜなら「パンク」じゃなかったから。原因は、おそらくバルブの閉め忘れ…… orz 避けられたトラブルだった。まじでへこむw

フロントホイールに空気を入れてみたら、全然空気が抜ける気配がない。そして、バルブを開けっ放しだったことを思い出す。スタート直後の異音も、衝撃に耐えきれずバルブから空気が抜ける音だったのだ。これで全ての現象に説明がつく。ほんと、今後ずっと語り継がれるネタになってしまった……w

レースを終えて

ボランティアのスタッフといろいろ話したり選手の応援したりしながら、回収バスを待つ。スタッフの方にかぶらないからと帽子を頂くw 今回のレース唯一の収穫物だ。スタッフの方、ありがとうございます。

回収バスの中で、隣に座っていた人がたまたま同じ50kmサーティの人だったので話しかける。岡山から来た人で、私と同じくパンクでリタイヤしたらしい。彼はスマホを持っていたので、ラップクリップで速報を確認してもらう。タイムからして大集団スプリント、遠藤さんの連覇、兄貴の15位フィニッシュをここで知る。コース上にちらほらいるリタイヤ選手を回収するのにはやはり時間がかかり、結局10時半過ぎになってようやく名護のスタート地点まで戻ってこれた。

自転車を受け取り駐車場へ戻ろうとしたとき、たまたま私を探しに来ていたれざ氏と遭遇。駐車場に戻る道中でレース展開について聞く。なんと兄貴が中盤から逃げて、今帰仁(なきじん)のスプリント賞を獲得! れざ氏も来年のシード圏内でフィニッシュ。ゆるんは残念ながらシード圏外フィニッシュだったがきっちり完走を果たす。優勝こそならなかったが、チームとしてスプリント賞という目に見えるリザルトを残せたのはとても良かった。Good Job 兄貴。これを知ったとき、とにかく自分のことのようにうれしかった。本当は自分がスプリント賞を獲る予定だったんだが。

スプリント賞は、賞状、今帰仁産の泡盛古酒、琉球ガラスの皿だったようだ。おめでとう兄貴。

駐車場でみんなと合流。片付けもそこそこに、表彰式を見に行く。久しぶりに表彰台を見上げる立場になった。なんだかんだで、Mt.富士ヒルクライム以外は表彰台に立ったからなぁ。次は絶対にあの舞台に登りたい。

表彰式後、優勝された遠藤さんと話す。会話の中で「スプリントになったら勝てるので」と言い切っていたのが印象深い。誇張でも自慢でもない。結果に裏打ちされた、すさまじい自信だ。

兄貴と優勝した遠藤選手

遠藤さんと別れた後、時間的に国際レースのゴールが近そうだったので観戦することに。

優勝したジェイソン・クリスティ(アバンティレーシングチーム)
2位の入部正太朗(シマノレーシング)
3位のベンジャミン・プラデス(マトリックスパワータグ)
4位のダミアン・モニエ(ブリヂストンアンカーサイクリングチーム)
疲れ切った表情でゴールする15位の山本大喜 (鹿屋体育大学)

それにしても、鹿屋体育大学の学生はすごいな。最後は力尽きて逃げ集団の最後尾だったが、この猛者達に混じって逃げ切るとは……。

動画をアップ。4K画質でご堪能あれ。

その後、宮里そばでソーキそばを食べ、那覇に戻る。夜は居酒屋で打ち上げ。フロントホイール事件についてさんざんいぢられつつも、自転車談義で盛り上がる。とても楽しいひとときだった。

感想

コミッセールカーが近すぎとかニュートラルサービスモトがなぜか前を走っているとか、レース統括には不満が残る。とはいえ、トラブルを引き起こしたのは自分が原因な訳で、これはしょうがないね。

初めてレースでリタイヤを喫したわけだが、それでも楽しいレースだった。リタイヤしたのは悔しいが、脚の痛みなどいろいろ不安を抱えた中ではちゃんと走れていたのでよくやったと思う。それに、小柄なヒルクライマーである私が平坦基調のロードレースでも十分戦えると分かったのは収穫だった。今回のレースは過去4年の中で最も高速なレースだったが、そんなに苦しいとは思わなかった。むしろ積極的にペースメイクに参加できた。さらに、レース展開を聞けば聞くほど登りでは負ける気がしない。兄貴が逃げをうったのも、アップダウンが続くワインディングロードだったらしい。もし私が生き残っていたら登りでスプリンター達をもだえ苦しめられたのに、残念でしょうがないw

もし、来年もツール・ド・おきなわに出るとしたら選択肢は3つ。一番高い可能性は、来年も50kmサーティにチームで出場して今度こそ優勝を狙うことだ。次点は、チームで100kmアンダー39に出場すること。100kmは羽地ダムという勝負の上り坂がある。クライマーの威力を発揮できるコースだ。最後の選択肢は、単騎で市民210kmへ挑戦すること。1年あれば完走は問題無いレベルに持って行けると思うが、勝負するには経験値があまりにも足らない。勝負が出来る自信がつくまで、多分お預けかな。

これにて、今年のレースは全て終了した。今はオフを満喫している。事実、体重がレース当日から6kg増えたw 来年は個人的な事情により環境が激変する可能性が高く、まだ目標を立てられる状況にない。どのレースにピークを持ってくるかはわからないが、とにかく冬場のトレーニングをしっかり積んで来シーズンに備えたい。

今シーズン終了!