第13回Mt.富士ヒルクライム 主催者選抜クラス 50位

本気でDNSを考えた第13回Mt.富士ヒルクライム。走ってみたけど、レースと言うよりは完全にサイクリングだった。

Mt.富士ヒルクライムは2回目の参加となる。初めて参加した去年は、ゴールドリングを獲得するも記憶を葬り去りたいくらいの黒歴史だったが、今回のMt.富士ヒルクライムはとても楽しみにしていた。なぜなら、主催者選抜クラスで走れるからだ。エントリー8705名の中から選ばれた57名の1人。テンションが上がらない訳がない。

しかし、今年は去年以上の試練が待っていた。

故障

実は、ハルヒルの直後から故障していた。ハルヒル終了から2日後、ジテツウの復路で両足に激痛が走る。ちょっとでも脚に力を入れると刺すような痛みが出た。以前も同じような痛みを感じたことはあったが、今回は以前にも増して強烈だった。この日は、ママチャリよりも遅いスピードで漕ぎながら、痛みに耐えてなんとか帰宅した。

安静にしていれば痛みは出なかったのだが、トイレに行く距離を歩くだけで痛みが再発する状況。普段徒歩で5分しかかからない距離が、痛みのせいで20分以上かかるようになる。当然、ジテツウなどできるはずもない。さらに、痛みだけでなく両脚のむくみがどんどん酷くなっていった。食べる量は以前と同じなのに、体重が2、3日で55kgから60kg付近まで一気に増加してしまう。

確かに症状は酷いが、最初はただの筋肉痛だろうと楽観していた。しかし、1週間近く経っても全く回復の兆しが見えない。現状を兄貴や友人に話すと、病院に行った方がいいと言われてしまった。流石に別の病気かもしれないと自分でも不安になり始め、ハルヒル翌週の月曜日に職場の保健センターへ行ってきた。

私「全然痛み引かないんですけど」→触診→先生「筋肉痛ですね」→私 (´・ω・`)

とまぁ、予想通りの結果となった。実は、その翌日が健康診断の日で血液とか抜かれたのだが、次の日に早速電話がかかってきて、

「筋肉痛の影響がもろに血液の検査結果に出てますね。痛みが引いたと思われるタイミングで再検査で」

と、言われてしまった。前日に診察受けてなかったら、すごい病気を抱えてる人だと思われていたに違いない。行っといて良かった……。

その後も1週間以上痛みは続き、Mt.富士ヒルクライム1週間前くらいにようやく回復の兆しを見せる。大会4日前の6月8日に血液の再検査を受け、その結果がこちら。

なんじゃこりゃ。AST (GOT)、ALT (GPT)、γ-GT (γ-GTP) 及び総ビリルビン (T-Bil) はいずれも肝臓に関わる検査項目で、CK (CPK) は筋肉に関係する検査項目だ。AST (GOT) やALT (GPT) が高いので一見すると肝機能障害が疑われるが、CKが高くγ-GTと総ビリルビンが低いので、この検査結果は筋肉障害が原因であると鑑別できる。なお、私は医療関係者ではないのでどの程度の衝撃だったのかはよく分からないが、センターの職員全員がこの結果を見て絶句したという。

結局、引かない痛み、トレーニングできない状況に対する焦りとストレスから、暴飲暴食の日々が始まる。毎日ポテトチップスを最低2袋、チョコレート菓子数箱、夕食も白飯を食べまくってストレス発散。結果、レース当日までの体重推移はこうなった。

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どーん。もし食欲を抑制できていればある程度落ちたかもしれない体重が、完全に高止まり。精神状態も荒れまくり。些細なことで怒り、家族に八つ当たりするという悪循環となっていた。

こんな状態だったので、本気でDNSも考えた。何せクラスが主催者選抜。出場すれば確実に酷い結果しか出ない。「なんでこんなやつが主催者選抜に選ばれたんだよ」と、後ろ指を指されるのは間違いない。そんな恥ずかしい思いをするくらいだったら、出ない方がましだ。

しかし、「人生、そんなにいつもうまくいくと思ってるの!?」と家族に説教される。また、一緒に出場する友人のゆるんを連れて行かないといけないと言うこともある。今更「一人で行って」とも言えないので、仕方なくレースに出ることを決断した。

レース前日

12時前くらいにゆるんを拾い、お昼にラーメンを食べてから山梨までさくっと移動。18時頃に宿へ到着した。受付は兄貴に任せていたので別に行く必要も無かったのだが、時間もあったので会場の様子を見に行くなど。

顔がふっくらしすぎ……。
顔がふっくらしすぎ……。

宿に戻って兄貴と合流し、晩ご飯を食べた後レースの準備をする。

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せっかくのゴールドゼッケンが泣くぜ……。23時前に就寝。

レース当日

2時起床。起床時体重60.15kg。何この体重。ヒルクライマーではなく完全なるブタである。

ブタであるにもかかわらず朝食はしっかり食べる。いつものフルーツグラノラハーフを300gほど。そしてカステラ。兄貴とゆるんはパスタをモリモリ喰っている。

5時頃、会場に向けて出発。車は宿に置かせてもらえることになったので、アップはローラーではなく会場へ移動する坂でやることにした。坂に入ってから強度を上げる。しかし、全く体が持たない。1分20秒、平均320Wで力尽きる。兄貴やゆるんも平然と付いてくる。こらあかん……。

早々に下山用荷物を預け、知り合いを探しながらうろうろする。グランペール勢やとれたまさんとご挨拶。ハイライトは、去年のツール・ド・おきなわ210km 2位の井上さんと初めて挨拶できたことかな。スタート直前、ゲストライダーである今中大介さんに「みんなどれくらいのタイムで走るの?」と、話しかけられる。「大体みんな1時間5分は切りますね、ただし今日の私はブタ化してるので無理ですけど」みたいに返事すると、「みんな速いなぁ~、やばいなぁ~」って感じだった。

そんなこんなしているうちに、緊張感無くレーススタートを迎えた。目標は最下位にならないこと、もう1つは年代別ウェーブに追いつかれないことだ。

レース本番

まずはパレードスタート。アーチをくぐってアクチュアルスタートラインまで移動していく。沿道からは「速ぇ~」という声が聞こえてきたが、このときの私は全く同じ気持ちだった。なんと、パレード区間にもかかわらず心拍がすでに170bpmを超え、すでに息も絶え絶え。横を走っていたグランペール田中氏に「えぇ!?」と、驚かれる。彼にとっては「心地の良いペースでゆったり」だったらしい。

料金所手前からローリング形式でレーススタート。予想通り、最初から集団最後尾につくのが精一杯という体たらく。レース開始から5分も経たないうちに最大心拍191bpmに到達。その後は糸がぷっつんと切れたように失速、10分と持たず集団から千切れるのであった……。

このときは、1番最初に集団から千切れたと勘違いしていた。実際には私の後ろに何人かいたようなのだが、後ろを見る余裕など全く無かったのだ。とにかく最下位にならないよう、こぼれ落ちてくる人たちが出てくることを期待して懸命にペダルを回す。とりあえず自力で1人をオーバーテイクし、ブービー以上は確定、少し安心する。

ほどなくして、今中さんともう1人が落ちてきた(Team UKYO監督の片山右京さんと思ったのだが、記憶がどうも曖昧)。オーバーテイクしようと思ったのだが、落ちてきた割にはペースが良く3人のパックとなった。ローテーションが回るが、私の引きが強すぎたらしく数回回ったところで崩壊。少し待ったのだが、どうも追いついてきそうにないので「すいません、先に行きます」と言ってから抜け出した。

数分後、さらに前から2人落ちてきた。1人はTeam Green RoadのN治さん、もう1人はよく知らない方だ。なかなか差が詰まらなかったが、なんとか追いつく。(面識のある)N治さんには「回しましょう」と言われるが、私の存在を嫌ったのかもう1人の方がペースアップ。追いつくためにパワーを使ってしまったため、再び千切れてしまった。

ここからは完全に単独走。早く終わらないかなぁと思いながらゴールを目指す。N治さんは視界に入っているが、遙か先を行っている。追いつく気力はもう無い。ラストスパートなどできるはずもなく、へろへろになりながらゴール。1時間10分2秒でシルバーリングとなった。

レースを終えて

私がゴールしたすぐ後に、年代別ウェーブの先頭がゴールしてきた。危なかった。もうちょっとで追いつかれるところだった。先頭集団に混じっていたと思われる兄貴もすぐにゴールしてきた。ゴールドリング獲得らしい。兄貴はそのまま名物「富士山めろんぱん」を買いに行った。私は下山パトロール隊に任命されてたので、専用の受付へ。ゴールが遅かったので下山第2グループの担当となった。猛スピードで下っていく人に注意しながら下山した。

メイン会場で後から下山してきた兄貴とゆるんと合流した後、表彰台の可能性がある兄貴のために表彰式を待つ。待ち時間にいろんな人と話す。レースの結果は散々で惨めな気分だったが、こうしたおしゃべりタイムはとても楽しかった。

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富士山を眺めながら富士山めろんぱんをほおばる

長い時間待たされたが、ようやくリザルトが張り出され結果が判明。年代別(30歳~34歳)で6位。入賞したものの、表彰台に上がることはできなかった。ともかく、入賞 & ゴールドリング獲得おめでとう! 一方、シルバー確実と思われていたゆるんはまさかの失速で1時間24分台。どうもレース直前になっておなかの調子が悪くなってしまったらしい。うーん、残念。

兄貴の表彰状を受け取るまでは帰れないので、表彰式を眺める。

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どの方も超一流クライマーばかりだ。いつかこの舞台に立ちたい。絶対立つんだ。

兄貴の表彰状を受け取り3人でお昼ご飯を食べた後、21時過ぎに無事大阪へ帰還した。

まとめ

残念ながら私にとって、Mt.富士ヒルクライムは今年も黒歴史となってしまった。まだ2回しか参加していないものの、どうも相性の悪さを感じる。このリザルトでは来年選抜に呼ばれることはないだろうが、ほかの大会で結果を出して、またこの舞台に戻ってきたい。

次戦はヒルクライマーの祭典、全日本マウンテンサイクリングin乗鞍である。こちらは年代別の出場だ。去年は短縮コースとなってしまったが、今年はフルコースで走りたい。そして、栄えあるチャンピオンジャージを獲得するために全力を尽くす。

余談

兄貴が抽選会でGIANT製のローラーを当てたw そして貰った!

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