第3回榛名山ヒルクライム in 高崎 ハルヒル2015(後編) 年代別3位 TT+HC4位

2016年3月7日

前半戦のピークと位置づけていたハルヒル。結果は年代別3位と、伊吹山と打って変わって地元勢の返り討ちに遭った。セッティングミスや落車遭遇で落としてしまった感があるが、はるばる大阪から遠征してきて仲間の前で表彰台を披露できたのはとても良かった。

ヒルクライムレース当日

3時起床。家から持ってきたフルーツグラノラハーフの残りを全部たいらげるも足りないと感じ、フルグラ(ややこしいw)を追加投入。合計で300gくらいかな? ついでにバナナもほおばる。

なんだかんだで宿を出たのが4時10分過ぎだった。れざ氏は自走、残りのメンバーは車で向かう。アップの時間とかを逆算すると、ちょっと時間が足りない感じ。当然のように渋滞が発生しており、これがまた時間の計算を狂わせる。しかも途中でれざ氏にオーバーテイクされる事案が発生w 結局駐車場にたどり着いたのが5時過ぎだった。

下山用荷物預けはゆるんに任せて、ゆるん、親父、義姉さんは先に会場へ移動するためここでお別れ。ちなみに親父と義姉さんは榛名神社コースを走るので、下山までは別行動だ。兄貴と私はローラーでアップ。昨日のTTによる脚のダメージは感じない。アップ15分、お決まりの固定ローラー付属ハッピーパワーメーター表示で260W5分、3分レストの330W3分が出せた。伊吹山よりも数字は悪いが、アップを始めた段階で200Wが出ていたので気にはならなかった。

集合場所に移動すると、そこは人と自転車で溢れかえっていた。列のかなり後ろの方に並ぶが、元々後ろから追い上げる作戦だったので問題は無かった。ちなみに兄貴、ゆるん、そして私は第2ウェーブ、れざ氏は第5ウェーブスタートだ。

並んでいると、なにやら兄貴が見知らぬ人と談笑している。どうやら赤城山で練習してるときに知り合った人らしい。私もご挨拶。れざ氏とも合流して、しばし歓談。沖縄すげー談義で盛り上がるw 今年の伊吹山で年代別2位、去年のハルヒル年代別ディフェンディングチャンピオンの影さんを発見したのでご挨拶。こういうひとときが楽しいね。

そうこうしているうちにスタート地点へ移動開始。いよいよ決戦が始まった。

ヒルクライムレース本番

計測タイムはネット方式。ハルヒルは狙っているレースなので、ここはウェーブの後ろの方からスタート。少しでもタイムを稼ぐ。1ウェーブごとに450人も出走するので、どうせ渋滞が発生する。メイン集団のペースもそれなりだろうから、先頭に追いつくのは難しくないとの判断だ。事前に立てた作戦は、神社前の急勾配でアタックし、神社後の最大勾配区間で独走に持ち込むというもの。

第2ウェーブがスタート。計測開始地点でまさかの影さんとほぼ同時通過。純粋に先着した方が勝ちという、2人だけのマスドレースが始まった。序盤はやはり渋滞していたが、最初に勾配が上がるポイントでペースが緩むので、そのタイミングで上がっていく。

4km付近、直角コーナーで無事に先頭集団にドッキング、というか勢い余って先頭付近まで出てしまった。丁度そのタイミングで逃げを打つ選手が2人いて、追走する形になってしまう。とりあえず2番手の選手に「無理、追い切れんわ」と嘘をついて集団後方に下がる。逃げは一瞬で吸収されたようだ。

この辺から、同じようなタイミングで後ろから上がってきた選手が次々と合流してきたようで、集団にきな臭い雰囲気が漂い始める。そして前から降ってくるエキスパートの脱落組。あぁ、落車が起こるなと直感的に悟った直後、落車が目の前で発生。すでにブレーキの体制を整えていたのでぶつからずに停止でき、幸いなことに追突もされなかった。

すぐに体勢を立て直して追走に移る。まだ先頭集団は視界にとらえている。これに追いつかなければレースが終わってしまう……! 後ろから影さんがブリッツ、しかしこれには乗り遅れてしまう。結局、誰かが「10秒ローテで行こう!」とオーガナイズしてくれたおかげで無事に先頭集団に復帰。ただし脚はかなり使ってしまった。

少し集団で休んでいると、どうも違和感を感じ始めた。明らかにギアが足りてない気がする。勾配9~10%ですでにインナーローを使ってしまっている。ハルヒルの最大勾配は、神社後にやってくる14%だ。実は激坂に自信を持っていたので、フロント52-39、リア12-25TとTTのときと全くセッティングを変えていなかったのだ。ハイケイデンスによるキレのあるアタックが持ち味なのに、それを自ら封印する形になってしまった。

そして迎えた勝負所の神社前の急勾配で、影さんがペースアップ。やっぱり考えることは皆同じだった。ここでは反応できず、いったん20mほど遅れてしまう。だが、これに追いつかなければレースが終わってしまう……!(2回目) 神社を過ぎた最大勾配区間で、普段は全く使わないダンシングを解禁。なんとか影さんを含む先頭集団4人(5人だった気もするが記憶が曖昧)に生き残ることに成功した。

最大勾配区間を過ぎてしばらくしたとき、左コーナーを大回りで登ってきた山形大学の選手がペースアップ。これに追いつかなければレースが終わってしまう……!(3回目)→結局追いつけなかった。しかし、同じ年代別だと分かったので、スタート時のタイムアドバンテージがあると信じてひたすらペダルを回す。

ゴールまで残り500m。さらに踏み込む。一瞬後ろを振り返る。影さんが少し離れた。影さんには先着しなければ少なくとも優勝は無い。残り100m。全力でダンシング。残り1m……勝った!

と、思った次の瞬間、オレンジ色のバーテープが視界に飛び込んできた! あぁ、差された……。油断大敵とはまさにこのこと。弱虫ペダルで例えるなら、新開vs御堂筋の新開側だった。タイヤ差で伊吹山のリベンジを果たされ、敗北を喫したのであった……。

ヒルクライムレースを終えて

結局、山形大学の選手がタイムでも逃げ切って優勝、影さんが2位、私が3位となった。タイヤ差で敗れたのは正直悔しいし、28Tを使っていればとの後悔もある。しかし、明らかに重すぎたギアで先頭集団に生き残れたのは自信になった。これは、1ヶ月前から始めた平地でトルクをかける練習の成果に他ならない。

タイムトライアルとヒルクライムのタイムを合計して争われるCOPPA DI HARUNAは4位だった。他の選手がタイムトライアルでどれだけ本気だったかは分からないが、ともかくこれは自分の練習の方向性が間違っていないことを示していると思う。

兄貴、ゆるん、そして私で組んだチーム戦は7位だった。チーム戦はまったく未知数だったので、この結果には満足している。

ゆるんは膝のけがの影響でタイムが伸びず。五島トライアスロンに向けて再起を誓っていた。れざ氏も目標の1時間切りはならず。しかし去年よりはタイムを伸ばした。次戦はツール・ド・宮古島。そして兄貴と私はMt.富士ヒルクライムである。この3レース、実は全部同じ日に開催される。お互いの健闘を祈る。

親父と義姉さんは神社コースを無事に完走。親父は今年還暦を迎えたが、よくやるわ。怪我だけは気をつけて自転車を楽しんで欲しい。

レース終了後、東京に移動して兄貴&義姉さん宅でピザを食べながら打ち上げ。去年は深夜移動を敢行して死ぬほど疲れたので、今年は翌日にのんびり帰阪した。

次戦は富士山2連戦となる。まずは先ほど書いた通りMt.富士ヒルクライムだ。翌週には富士国際ヒルクライムがある。コースプロフィールが全く違う2つの大会だが、オールラウンドに対応できる脚を作ってきた。その成果が試される。