クリス・フルームのデータを検証する
じてトレのサイトに、クリス・フルームのパワーデータに関する記事が出ていた。元ネタをたどって調べていったら、パワーデータを含むいろいろなデータを発見したので、日本語訳および解説とともに紹介する。
元ネタ紹介
まず、元ネタを紹介しよう。
- クリス・フルームのパワーデータについての情報 from じてトレ
- 数値のみの紹介
- Chris Froome described as “close to human peak” after physiological data release from Cycling WEEKLY
- 数値のみの紹介
- THE HARDEST ROAD from Esquire
- 数値とフルームのインタビュー
- CHRIS FROOME VISITS THE GSK HUMAN PERFORMANCE LAB FOR COMPREHENSIVE PHYSIOLOGICAL ASSESSMENT from GSK Human Performance Lab
- 実験の詳細レポート
- Chris Froome Body Compositon & Aerobic Physiology Report (pdf)
この記事や元ネタ記事に書いてあるデータは、基本的に最後のpdfファイルが基になっている。この記事の表は、全てこのpdfからの引用である。これらのデータは、フルーム自身の希望により公開されているものである。流石、クリーンな自転車界を目指しているフルームらしい行動だ。
フルームのデータ
実験は、ブエルタ・ア・エスパーニャ2015開幕(8月22日)直前の2015年8月17日に、 GSK Human Performance Lab @Londonにおいて実施された。
この実験の目的は、リオデジャネイロ五輪に向けたフルームのデータ基準を作成すると同時に、フルームという並外れたエンデュランスアスリートを定量的に評価することだ。
実験環境
- 気温: 19.5℃
- 湿度: 49.3%
- 大気圧: 762.2 mmHg (1016 hPa)
- 食後2時間後に実施
- 自転車エルゴメーター: CompuTrainer
- 自転車エルゴメーターソフトウェア: RacerMate One
- 呼気分析器: Metalyzer 3B
- 呼気分析ソフトウェア: MetaSoX Studio
- 血中乳酸値分析器: Biosen C-Line
解説
実験に使用されているローラー台は、CompuTrainerである。お値段24万円と極めて高価だが、自動負荷調節装置だったり専用のPCソフトが付属してたりと、かなり高性能な模様。日本では、マウンテンバイクの山本和弘選手が2008年に導入したとの記事を発見した(現在も使用しているかは不明)。
体組成
- 身長: 185.7 cm
- 体重: 70.8 kg(最大下有酸素運動テスト時)、69.9 kg(最大有酸素運動テスト時)
- 体脂肪率: 9.8 %
- 体脂肪量: 6.7 kg
- 除脂肪体重: 61.5 kg
- 骨量: 2.8 kg
解説
体脂肪率の測定は、8時間以上の絶食後に二重エネルギーX線吸収法で行われた。巷で売られているインピーダンス式体組成計よりはるかに精度が高く、これらの数値は相当信頼性が高いと思われる。
THE HARDEST ROADによると、9.8%という数値について、フルーム自身は驚いていないと語っている。"gangly"な腕と足が、自分を実際以上に細く見せてる、と。また、2007年に22歳で南アフリカからヨーロッパに来たばかりの頃よりずっと高いとも語っている。
実験日(2015年8月17日)当初、フルーム自身どれくらいの数値だったかは覚えていないらしく、2007年のデータを探していた。その後、フルームの奥さんであるミシェルさんがデータを見つけ出してきた。2007年とのデータ比較については、後で述べる。
最大下有酸素運動分析 (Submaximal Aerobic Profile)
このテストでは、乳酸性作業閾値 (LT: Lactate Threshold) を推定することを目的としている。最大下有酸素運動能力を分析するため、以下のプロトコルに従って実験が行われた。
- 体組成を測定する。
- 安静時の毛細血管血液を採取する(基準の乳酸値)。
- CompuTrainer上で、自分の選んだ強度でウォームアップする。
- CompuTrainerのキャリブレーションを行う。
- CompuTrainer上で、パワースケジュールに沿った4分間×8ステージを行う。
- 乳酸値と主観強度をステージの最後30秒のタイミングで収集する。
- テスト中、呼気及び心拍数のデータを収集する。
- データを30秒間隔で平均化する。
表1が実験結果である。
ステージ | ステージタイム(分) | 累積時間(分) | CompuTrainerにセットしたパワー (W) | 実際に記録されたパワー (W) | 血中乳酸値 (mmol/L) | 主観強度(6 – 20) |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 0-4 | 4 | 250 | 250.6 | 1.02 | 8 |
2 | 4-8 | 8 | 275 | 272.7 | 0.9 | 10 |
3 | 8-12 | 12 | 300 | 299 | 0.87 | 11 |
4 | 12-16 | 16 | 325 | 323.8 | 1.03 | 13 |
5 | 16-20 | 20 | 350 | 348.1 | 1.32 | 14 |
6 | 20-24 | 24 | 375 | 374.9 | 1.83 | 15 |
7 | 24-28 | 28 | 400 | 399.3 | 2.74 | 16 |
8 | 28-32 | 32 | 425 | 423.6 | 4.37 | 17 |
実験結果を基に、LT指標を計算した結果が表2である。
指標 | パワー (W) | パワーウェイトレシオ (W/kg, 70.8kg時) | パワーウェイトレシオ (W/kg, 67kg時) | 心拍数 (bpm) | 血中乳酸値 (mmol/L) |
---|---|---|---|---|---|
基準(安静時) | #N/A | #N/A | #N/A | #N/A | 1.09 |
基準より 1 mmol/L 上 | 381.8 | 5.39 | 5.70 | 128 | 2.09 |
DMAX (Cheng et al, 1992) | 355.7 | 5.02 | 5.31 | 121 | 1.36 |
Modified DMAX (Bishop et al, 1998) | 385.2 | 5.44 | 5.75 | 129 | 2.22 |
2 mmol/L に固定した場合 | 379.3 | 5.36 | 5.66 | 127 | 2.00 |
4 mmol/L に固定した場合 | 419.0 | 5.92 | 6.25 | 138 | 4.00 |
表1と表2を基にグラフ化した。なお、pdfは心拍数でグラフ化されているが、何故か表には心拍数のデータが示されていない。そこで、表2のパワーと心拍数データから線形近似曲線を求め、各パワーにおける推定心拍数を導出した。
オリジナルの心拍数データを用いたグラフは、pdfを参照してほしい。
解説
このテストで、フルームはテスト開始から28分経過後の最後の4分間に、平均423.6Wを維持している。推定の平均心拍数は139bpmと、極めて低い。これは、CompuTrainerの負荷が高くケイデンスが低かったからではないかと私は考えている。例えるなら、39-28Tで勾配33%を登っている感じ? 何にせよ、極めて高い心肺能力である。心肺はまだまだ余力を残しているように思われるため、フルームお得意の高ケイデンスにすればもっと高いパワーを維持できるのではないかと推測する。
DMAXは新しいLTの指標としてChengらが、Modified DMAXはBishopらが提案したものだ。これらの値は呼気 (L/min) から計算される。しかし、呼気のデータが書かれていないので検算できなかった。
LTパワーを導出するとき、血中乳酸値が2mmolに達したときのパワーがしばしば用いられる。このテストでは、LTパワーを3次多項式近似から推定しており、その値は379.3Wである。なお、FTPとほぼ同値とされる乳酸蓄積開始点 (OBLA: Onset of Blood Lactate Accumulation) である419.0Wも3次多項式近似推定値であることに注意。
最大有酸素運動分析 (Maximal Aerobic Profile)
この実験は、いわゆるMAPテストを行ってVO2Maxを推定することを目的としている。テストは、最大下有酸素運動テストの15分後に、以下のプロトコルで実施された。
- 体組成を測定する。
- CompuTrainer上で、自分の選んだ強度でウォームアップする。
- CompuTrainerのキャリブレーションを行う。
- CompuTrainer上で、150Wからスタートし30秒に15Wずつ(1分間に30Wずつ)負荷を上げる出力急昇テストを行う。
- テスト中、呼気及び心拍数のデータを収集する。
- ケイデンスが70を切った時点でテストを終了する。
- データを30秒間隔で平均化する。
テスト結果を表3に示す。
VO2Max | ピークパワー | |||
---|---|---|---|---|
テスト時体重 (69.9kg) | 推定レース時体重 (67.0kg) | 絶対値 | 相対値 | |
絶対値 (L/min) | 相対値 (mL/kg/min) | 相対値 (mL/kg/min) | パワー (W) | パワーウェイトレシオ (W/kg) |
5.9 | 84.6 | 88.2 | 525.3 | 7.5 |
解説
表3のデータは、実験の終了条件がケイデンス70以下を切った時点であることから、ケイデンス70付近のデータとみてよい。また、525.3Wという数字は30秒平均である。
パワーとケイデンスが分かれば、クランクにかかるトルクを逆算できる。パワーとケイデンスの関係は、以下のようにあらわすことができる。
ここで、Pはパワー (W)、Tはトルク (Nm)、cはケイデンス (rpm) である。この式を書き換えると、
となる。この式に先ほどの数値を当てはめて計算すると71.6 Nm で、これはケイデンス40で300Wを出すときに必要なトルクとほぼ一致する。どんな地獄よ……。
VO2Maxは、全身持久力を表す指標とされる。VO2Max 84.6 mL/kg/min という値は、極めて高い。チャリダーでおなじみ猪野学さんが51.0 mL/kg/min、Mt.富士ヒルクライムを制したことがある筧五郎さんが61.0 mL/kg/min であることから、いかに人間離れしてるかがわかる。
2007年とのデータ比較
先述した、2007年とのデータ比較を行っている。ローザンヌにあるスイスオリンピックメディカルセンターで2007年7月25日に行われたテストと、今回のテストとの比較した結果を、表4に示す。
測定項目 | GSK Human Performance Lab (2015年8月17日実施) | スイスオリンピックメディカルセンター(2007年7月25日実施) |
---|---|---|
体重 (kg) | 70.8(最大下有酸素運動テスト前), 69.9(最大有酸素運動テスト前) | 75.6 |
体脂肪量 (kg) | 6.7 | 12.8 |
体脂肪率 (%) | 9.8 | 16.9 |
VO2Max (L/min) | 5.91 | 6.07 |
VO2Max (mL/kg/min) | 84.6 | 80.2 |
ピークパワー (W) | 525.3 | 540 |
パワーウェイトレシオ (W/kg) | 7.5 | 7.1 |
なお、2007年のテストで使用された機材やプロトコルに関する記述はなかった模様。従って、比較するときには注意を要する。
解説
フルームの記憶通り、2007年当時の体脂肪率などは相当高い。また、VO2Maxの絶対値とピークパワーも2007年の方が高い。一方で、VO2Maxの相対値とパワーウェイトレシオは2015年の方が高い。絶対値の減少量を最小限に抑えながら減量に成功したことがよくわかる。つまり、身体能力は22歳当時ですでに完成された領域に入っていたことを示唆している。
血液組成
pdfには載っていないが、THE HARDEST ROADには2007年のテスト時、ツール・ド・フランス2015の1回目の休息日(2015年7月13日)、2015年のテスト時の血液検査の結果も載っている。なお、本文でヘモグロビン濃度の単位が g/L となっているが、数値的に見てどう考えても間違っていると思うので、ここでは g/dL と表記している。
検査項目 | GSK Human Performance Lab (2015年8月17日実施) | ツール・ド・フランス2015 1回目休息日(2015年7月13日実施) | スイスオリンピックメディカルセンター(2007年7月25日実施) |
---|---|---|---|
ヘモグロビン濃度 (g/dL) | 15.3 | 15.3 | 14.5 |
網状赤血球の割合 (%) | 0.96 | 0.72 | #N/A |
Off-Score | 94.21 | 102.1 | #N/A |
ヘモグロビン濃度は、赤血球中に含まれるヘモグロビンというたんぱく質の割合を示している。
網状赤血球とは、簡単に言えば出来立ての赤血球のことだ。網状赤血球の割合は、全赤血球中に対する網状赤血球の割合である。
Off-Scoreとは、バイオロジカルパスポートにおいて血液ドーピングを検出するための指標の1つで、以下の式で計算される。
ここで、OSはOff-Score、Hbはヘモグロビン濃度 (g/dL)、rは網状赤血球の割合 (%) を表す。Off-Scoreの値が80から110の範囲に収まっていればよいとされる。
血液ドーピングをした場合、網状赤血球が異常に増加(いっぱい作られる)または減少(いっぱい作られた赤血球が寿命を迎えていっぱい死滅)し、それらの影響がヘモグロビン濃度と網状赤血球の割合に数値として現れる。そこで、この2種類の数値を使って統計量を計算し、網状赤血球の増減が異常かどうかを確率的に判定するのがOff-Scoreの仕組みらしい。興味がある方は、このページに解説がある(英語)ので読んでみるとよい。
なお、2007年の血液検査では、網状赤血球の割合のデータが存在しないため、Off-Scoreの計算はできない。
解説
日本人男性のヘモグロビン濃度の基準値は、12.7~17.0である。この基準からみれば、フルームの値はいたって普通だ。一方、記事によると一般人の網状赤血球の割合は0.5~2.5%(Wikiによると0.5~1.5%)らしいので、フルームの値は高いということになる。これは、フルームの造血能力が非常に高いことを示唆している。(数値を勘違いしてました)また、記事によると一般人の網状赤血球の割合は0.5~2.5%(Wikiによると0.5~1.5%)らしいので、やはりフルームの値は普通だ。
なお、バイオロジカルパスポートで問題なのは絶対値ではなく、時間経過による相対的な変動である。Off-Scoreは異常な相対変動を確率的に検知するが、フルームのOff-Scoreに問題はなく、やはりフルームはクリーンといえる。
テスト後のフルーム
THE HARDEST ROADによると、フルームはVO2Maxテストは興味深く、またやりたいと語っている。
「理由の1つは、自分の生理学的特徴を理解することは、今後のパフォーマンス向上に役立つかもしれない。あの時はとても疲れていたから、もう一度VO2Maxテストをしたい。今度はもっとうまくできる。」
私も、フルームはもっとすごい数値を叩き出せると思う。推定FTP419Wは納得できない。430Wはあるんじゃないかな。
まとめ
フルームの身体能力の高さが、数値によって改めて証明された。また、自転車界をクリーンにしたいというフルームの熱意がとても伝わってきた。
このテストで疑問に思ったのは、ケイデンスの評価があまりされていないことだ。ケイデンスの大小で心拍数は大きく変動する。特に、フルームの場合は高ケイデンスが大きな特徴なわけで、この辺の評価をもう少し見てみたい。
GSK Human Performance Labは、さらなるデータを追加して、この内容を査読付きジャーナルに出す予定らしい。もしジャーナル化されたら、お金を出してでも買いたい内容になっているだろう。
最後に
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